日本で最初にWWWを作った人
森田洋平 理学博士

 ネットワークとの出会い

私とネットワークとの出会いは、高エネルギー物理学の分野で研究所や大学を お互いに接続しようというHEPnetというプロジェクトでした。1984年のことです。 私は当時、筑波大の大学院生だったのですが、KEKの早野先生(現在は東大)や 苅田先生らと一緒になって、それぞれの研究室にある計算機(VAX11)を接続し、 研究のために必要な解析プログラムの転送や電子メールのやりとりなどに 使っていました。当時の回線速度は9600bpsで、数十行程度のファイルを転送する のも転送の様子を目で追いかけることができました。今、振りかえると 実にのんびりした時代だったと思います。
 HEPnet(*1)の歩み
高エネルギー物理学の分野では、世界の各地から数百人、ときには千人を越える研究者が集まって、 協同で1つの巨大な検出器を建設し、実験を行うのが一般的です。このため、この分野では早くか ら計算機やネットワークが積極的に実験に取り入れられ、これらの技術と密接に結びついて発展し てきました。現在では、この巨大な実験グループのデータ解析や、研究者の間での研究連絡などの ために、インターネットはなくてはならない存在となっています。

筑波研究学園都市の高エネルギー物理学研究所(KEK)にある計算機と、筑波大学や東京大学な ど全国7大学の素粒子実験研究室にある計算機とが、1984年にNTTのデジタルパケット交換網に よって接続されました。それまでの高エネルギー物理学の実験では、実験を行った研究所にある計 算機で実験データを解析したり、実験データやグループで開発したデータ解析用のプログラムをパ ンチカードや磁気テープに記録して、それぞれの大学に持ち帰ったりしていました。パケット網の 出現により、研究者は研究所に出張しなくても、自分の大学の研究室から直接相手の計算機にログ インしたり、データ解析用のプログラムファイルを転送したりすることが可能となりました。

このパケット網はその後、専用回線を用いた独自のネットワークに置き換えられ、国外はアメリカ のフェルミ国立加速器研究所(Fermilab)やスイスのCERN研究所、ドイツのDESY 研究所などとの研究連絡に用いられるようになりました。この専用回線網は、世界のネットワーク としてHEPnetとよばれるようになりました。初期のHEPnetではおもにDECnetと いう特殊な通信方式が利用されていましたが、90年代に入ってからは標準的なTCP/IPによる 通信の割合が徐々に大きくなり、いまでは他の分野のネットワークとも相互に乗り入れする世界的 規模のインターネットの一部を構成しています。<表1>に日本のHEPnetの簡単な歴史を示 します。

<表1>日本におけるHEPnetの歴史
1984年KEK、筑波大、東京大、農工大、京都大、広島大、
名古屋大、中央大がNTTパケット網(9600bps)で接続
1985年VENUS−P 国際パケット網 9600bps
1986年日本-米国専用回線 9600bps
1990年日本-米国専用回線 56Kbps
1992年国内主幹線 64Kbps
日本-米国専用回線 192Kbps
1993年国内主幹線 128Kbps
1994年日本-米国専用回線 512Kbps
日本-米国専用回線 64Kbps
1995年国内主幹線 0.5〜10Mbps

*1 HEPnet=High Energy Physics Network(高エネルギー物理学ネットワーク)。