Web開発の歴史 - 私とWorld Wide Web



 初めてのWWWブラウザ

質問: 初めてのWWWブラウザはどんなものでしたか?

 私は1990年に初めてのGUIブラウザを作りました。そしてそれを"WorldWideWeb"と呼んだのです。 これはNeXTのコンピューター上で作動しました。(ずっと後になってそのアプリケーションを Nexusと名称変更しました。なぜなら最初のクライアントとその抽象的空間そのものとの間の混 乱を避けるためです)。

 CACMの記事用に撮ったWorldWideWebのスクリーンショットがあります。この頃までには色とイ ンライン画像がありました。オリジナルの1990年のバージョン1.0は、ブックアイコンとCERNア イコンが別々のウィンドウにある事を除けば、そっくりでした。また、全てが(当時のNeXTの ように)グレー・スケールで表示されたのです!そのスクリーンショットは、実験リストにあ る"Atlas"からマークされたいくつかのページへのリンクを張るということを示しているので す。見て下さい。URLもタイプされていませんし、かぎ括弧もないでしょう!WorldWideWebは モード・フリー編集とリンク作りのグラフィックを使ったポイント・アンド・クリック形式の ブラウザでした。これはスタイルシートや多様なフォント、サイズ、ジャスティフィケーシ ョン方式を使用していました。また、あらゆる膨大なNeXTStepの標準レパートリーの中から、 画像や図、音やアニメーション、映画などをダウンロードして表示していました。

 スタンフォード大学の学生、パイ・ウェイはUnix用"ViolaWWW"を、ヘルシンキ工科大学の学 生たちはUnix用"Erwise"を、SLAC(Stanford Linear Accelerator Center)のトニー・ジョ ンソンはUnix用"Midas"を作りました。ViolaがWebを見る最善の方法となり、新しいサーバを インストールするドライブエンジンとなり、CERNなどが推奨するブラウザとなるのに1年かそ こらかかったにもかかわらず、パイ・ウェイは歴史の中で気付かれないような仕事をした他 の人々の中で、誰も気付かなかった歴史を通過してきていたのです。

 多くの人々は偶然、CERNの情報チャンネルへのテルネット接続によって初めてWebをご覧にな った事でしょう。このチャンネルは未完成だけれども機能的なライン・モード・インターフ ェイスを提供してくれました。これは2番目のテキストベースの「ライン・モード」ブラウ ザとか「WWW」などと呼ばれるブラウザで、CERNのニコラ・ペローと言う学生が作りました 。それがWebに関する全てであると考えた人も多かったのです。あるジャーナリストはリン クがページに番号付けられているので、「Webは番号を入力して情報を見つける手段である 」と書いています。Webがハイパーテキストのポイント&クリック・スペースとして見られ るのは、NeXT社製コンピューターを使っている人たちの間だけの事だったのです。